せきや息苦しさなどの胸部(むね)の症状について

せきや息苦しさなどの胸部(むね)の症状を神戸市長田区の永田診療所にて診察いたします。


胸部(むね)の症状

1.咳(せき)

通常の風邪でも1週間程度の咳が続くことがあります。少しずつ水分を飲んでみたり、トローチをなめてみましょう。タバコは咳を悪化させますので、禁煙に努めましょう。

2.呼吸困難(息苦しさ)

息苦しい時はイスにもたれたり、机に伏せたりすると楽になることがあります。なかなか治まらない時や、突然起こる息苦しさには心臓や肺の病気などがありますので、医師の診察を受けましょう。

3.動悸(ドキドキする)

正常の脈拍数は1分間に50~100回までです。急に動悸が起こったら、「息をじっとこらえる」、「冷たい水に顔をつける」「胸を叩いてみる」等を試みて下さい。それでも続けば医師の診察を受けましょう。

4.胸苦しさ

胸が締め付けられるような感じや重苦しい感じを指します。突然起こる胸苦しさは、心筋梗塞などの緊急を要する急病のときがあります。30分しても治まらないときはすぐに病院へ行きましょう。

5.風邪症状 (風邪かな?と思ったら)

ひき初めは薬局の総合感冒薬(かぜ薬)で様子を見ても構いません。しかし、胸が痛くなるほど強い咳が続くとき、38℃以上の発熱が3日間以上続くとき、頭痛や吐き気、めまいなどを伴う場合、水分が充分に摂れないときなどは医師の診察を受けましょう。妊婦や高齢の方、糖尿病や慢性の肺疾患や心臓病を治療中の方は、風邪かな?と思ったら早めに医師に相談しましょう。

※発熱とは?
通常、腋(わき)の下で測りますと36~37℃前後あります。医学的には37℃以上を発熱と呼び、37℃台を微熱、39℃以上を高熱と呼びます。高齢者では肺炎になっていても発熱や咳が出ないことがよくあります。

見落とされがちな甲状腺の病気について

見落とされがちな甲状腺の病気について、神戸市長田区の永田診療所が解説します。


【甲状腺疾患】

早期診断・治療で予後は良好に

動脈硬化の検査で頚部のエコーを撮ったら甲状腺がんが見つかった―。
そんなケースが少なくありません。
一般的な健康診断に甲状腺の検査が入っていることは稀で、甲状腺の病気は見落とされがちなのです。
ホームドクターに相談して専門医を紹介してもらいましょう。

重要な甲状腺ホルモン

甲状腺は頚部の下のほう、気管の前方にあり、甲状腺ホルモンを産生して血液中に分泌します。血液中の甲状腺ホルモンの量は50mプールにスプーンー杯ぐらいの微量ですが、非常に重要な働きがあります。分泌された甲状腺ホルモンは体中の細胞に働きかけ、①新陳代謝を高め、②細胞の若返りを進めます。分泌過剰(機能元進症)でも、分泌不足(機能低下症)でも、体調が悪くなります。

甲状腺疾患の診断

甲状腺の主な疾患には、バセドウ病、橋本病、腫瘍があります。
一般的な健康診断には甲状腺の検査が含まれておらず、これらの疾患は見逃されやすいですが、甲状腺専門医が診察すると高頻度に見つかります。女性1000人の診察で、バセドウ病3人、橋本病110人、甲状腺がん4人、良性腫瘍60人を診断したという報告があります。最近は動脈硬化の検査として頚部工コーが広く行われるようになり、甲状腺腫瘍の診断が急増しています。
甲状腺の疾患は、的確な診断と治療によって症状が著しく改善します。
ホームドクターに相談して、専門医を紹介してもらいましょう。

バセドウ病

機能亢進症の代表疾患がバセドウ病です。新陳代謝が異常に亢進しますので、動悸・心房細動(不整脈)・発汗過多・体重減少・下痢・手のふるえ・イライラなどの症状が出ます。一日中ジョギングをしている状態であり、放置すると心臓がもたなくなり心不全になります。甲状腺は腫大し、眼球突出を認めることもあります。
病因は甲状腺を刺激する自己抗体です。治療法には①抗甲状腺剤(内服薬)②手術③放射性ヨード(ヨード131)治療があります。抗甲状腺剤には抗体を消す作用と甲状腺ホルモン産生を減少させる作用があります。機能の正常化は2~3カ月で可能ですが、自己抗体を消すには長期間(2~10年)かかります。副作用が多いのも特徴です。
手術とヨード131治療は、抗体が消えない場合に甲状腺そのものを壊して機能を低下させるという考え方で行われる治療法です。治療後、多くの場合機能低下症になりますので、甲状腺ホルモン剤を終生服用する必要があります。日本では抗甲状腺剤70%、ヨード131治療30%ですが、米国では抗甲状腺剤30%、ヨード131治療70%です。手術は数%です。
他に血液中の甲状腺ホルモンが多くなる疾患としては、無痛性甲状腺炎・亜急性甲状腺炎(痛みが強い)・プランマー病などがあります。

神戸・兵庫開港~沙汰を拝せずんば退朝せず

15代将軍慶喜の神戸開港への努力について、永田診療所(神戸市長田区)がご説明いたします。


兵庫開港の勅許

慶応2年(1866)8月将軍家茂段して、慶喜これをつぎ15代将軍となり、同じ12月孝明天皇崩じて、明治天皇が即位した。

慶応3年(1867)3月5日、慶喜は万国信義を説いて、条約の示す兵庫開港(神戸開港)を奏上したが却下され、同22日再び奏上したが、勅許はやはり得られなかった。

開港6ヵ月前に通告しなければならないその6月6日は刻々と近づいて来、幕府の焦燥はなはだしいものがあった。

しかし、慶喜が各国公使に対して、必ず6ヵ月前の兵庫開港布告は実行すると言い、期日における開港を確約したことは、最終的に勅許を取付ける自信を持っていたのであろうが、反幕派の中には武力に訴えても阻止する構えもあった。

こうした間に慶喜はついに、5月23日午後3時ごろ老中2名と京都所司代を従えて参内。

長州の処罰を寛大に計らうことを奏上したのち、兵庫開港の勅許をねがった。

宮中の議論は沸騰、24日には堂上の総参内となり、午前1時、4時、5時、6時と相ついで会議を開き、この間慶喜は「沙汰を拝せずんば退朝せず」とまで頑張ったので、ついに午後2時にいたって開港のこと決定し、24日午後8時次の沙汰書が下された。

神戸・兵庫開港の事、元来容易ならず、殊に先帝止置きなされ候えども、大樹〔将軍〕余儀なき時勢を言上、諸藩建白の趣も之あり、当節上京の4藩〔薩・宇・土・越〕も同様申上候間、誠に止むを得ざるものとして御差許相成候、就ては諸事急度取締相立て申すべき事

1、兵庫開港停られ候事
1、条約締結改あの事

右取消の事以上幕府による各国公使に開港を約した幕府は、神戸開港準備に当らなければならなかった。

幕臣によって徴した開港準備外国公使意見は「居留地を生田川、宇治川間とし開港の12月7日までに準備せよ」というものであった。

この時すでに神戸開港は既定の事実となっている。

永田診療所(神戸市長田区)